母が亡くなって四十九日を過ぎた頃、父と私は実家の遺品整理を始めました。正直なところ、気乗りしない作業でした。母の持ち物に触れるたびに、その不在を突きつけられるようで怖かったのです。最初は、ただ機械的に「いるもの」「いらないもの」を仕分けるだけでした。しかし、クローゼットの奥から出てきた古いアルバムを開いた瞬間、私の手は止まりました。そこには、私の知らない若い頃の母が、満面の笑みで写っていました。父との旅行写真、友人たちとの集合写真。一枚一枚めくるたびに、母がどんな人生を歩んできたのか、その物語が心に流れ込んでくるようでした。遺品整理は、単なる「片付け」ではないのだと、その時気づきました。これは、故人が生きてきた証をたどり、その人生を追体験する、残された者にとって非常に大切な時間なのだと。大切にしていたであろう手帳、何度も読み返した様子の本、手作りの小物たち。それら一つひとつが、母の人柄や価値観を雄弁に物語っていました。もちろん、すべての物を残すことはできません。私たちは、本当に心に残したいものだけを選び、あとは感謝と共に手放すことに決めました。作業を終える頃には、あれほど重かった心が不思議と軽くなっていました。悲しみは消えませんが、母の人生に触れたことで、温かい感謝の気持ちが心を満たしたからです。遺品整理は、故人と最後に向き合う貴重な対話の時間。物理的な空間だけでなく、心の中も整理し、前を向くための大切な儀式なのだと、深く心に刻まれました。