先日、初めて喪主として父の葬儀を執り行いました。葬儀社の担当の方に支えられ、何とか無事に終えることができましたが、その過程で耳にする専門用語の数々に、私は正直なところ戸惑い、翻弄され続けました。知識として知っているつもりでも、実際にその当事者になると、言葉の重みや意味合いが全く違って感じられるのです。最初に戸惑ったのは「枕経」という言葉でした。担当の方から「お寺様には枕経をお願いなさいましたか」と問われ、それが何を意味するのかすら分かりませんでした。亡くなった人の枕元で、最初にあげていただくお経のことだと教わり、慌てて菩提寺に連絡を取りました。故人が旅立つための最初の儀式から、私の知らない世界は始まっていたのです。次に悩んだのが「喪主」と「施主」の役割です。私が喪主を務めることは決まっていましたが、葬儀費用は兄弟で分担するため、施主はどうなるのか、挨拶はどちらがするのか、と混乱しました。結局、私が喪主と施主を兼務し、費用のことは内々で処理するという形で落ち着きましたが、葬儀の対外的な顔である喪主と、経済的な責任者である施主という役割の違いを、この時初めて身をもって理解しました。通夜、告別式が終わり、ほっとしたのも束の間、今度は「後飾り祭壇」の準備が始まりました。火葬場から戻った遺骨を、四十九日まで安置するための祭壇のことですが、その飾り方一つひとつに意味があることを教えられ、改めて葬儀という儀式の奥深さを感じました。そして、法要の日程を決める際に登場した「逮夜」という言葉。これは命日の前夜を意味する言葉で、「お逮夜に親族で集まりましょう」と言われても、すぐにはピンと来ませんでした。葬儀は、故人を送り出す儀式であると同時に、遺された者が、普段触れることのない日本の伝統的な死生観や言葉の文化に触れる機会でもあります。戸惑いの連続でしたが、一つひとつの言葉の意味を知ることで、父の死と向き合うことができたように、今では感じています。